蛙の生き方から、学ぶものは何か。

 今日は、紹介する写真とは「ちょっと、縁遠い話」になりますが、まあ、みなさん、少しだけ「おめめ」をおかしください。私が、ある田舎の寺の住職であることは、以前にお話ししましたかなあ。今年は、ある「お堂の守役」をしていますが、夕刻に歩いて「お堂」を閉めに行こうとしているときに思いだした話を掲載させていただきます。
 もう二週間とあと少しで「お盆」の候になりますが、私の家の代々の墓にお参りに行ったときのことです。夏の墓に供えるお花は、照りつける暑さの元ではすぐに華がしおれてしまいます。そのお墓の華をかえようとしたときです。華を供えてある所を見て「びっくり」。蛙が、腕を出して(人間様でいうなら腕組みをしたような格好)で、涼しげな顔でこちらを眺めています。
 華をかえようとすると、墓石にぴょんと張り付く状態になり、逃げようともしません。思えば周囲は一面の田んぼダラケの環境ですが、あえて、せまい我が家の墓石の花瓶の中が住まいのようです。考えてみると、田んぼでは、雀や鴉、サギの格好のえさになってしまいますが、お墓の墓石の花瓶の中では、鳥たちの完全な死角となり、命を細々ながらにつなぐことができるのでしょう。おまけに、夏のくさった水の中でも、涼しく快適に生きられるのでしょう。えさは、お墓に、昼、夜に飛んでくる虫を捕まえればいいのですから。
 墓石も、朝方、朝日の昇る前は石だから「ピチャ」と張り付けば、涼しいものです。・・・思いましたね。「小さな命」は、「環境に合わせ、知恵を絞ってたくましく生きている」のだと。
 人間様も、こうした存在と同じではないかと。庶民は、10円でも安い弁当がうられていると思えば、やはり、10円をけちってでも、そちらへ足を運ぶと。世知辛い、現代社会、「デフレの世界」です。サラリーマンも、けちって、けちって、たくましく「蛙のごとくたくましく、生きてます。」・・・暑い夏、ただ、水分補給は忘れずに「たくましく、ばてずに生きましょう。」
 
 さて、今日の一枚は、比叡山の梅雨の頃訪れた「横川・にない堂」(常行三昧をするところ・・・天台宗の修行の一つの道場です。)の屋根の写真の一枚です。厳かな宗教的雰囲気を醸し出すために、霧の出た日に撮影をしてみました。今日は、本間に「蛙の話」は写真とは全く関係のない話になってしまいました。(おそまつ)

 

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